勝手に精神科の薬断薬したら大変な事になった話。前兆〜閉鎖病棟編
こんにちは。梅干タロウです。
入院から12日が経ちました。
入院前から今までの経過を思い出しながら書いていきます。
メンタルクリニックに通い、投薬治療を受けておりました。仕事で上司やお局からの詰めが厳しくなってきて、無気力で仕事が手につかない、不安状態になる事が増えてきた為休職に入って1週間くらいの事です。
お休みを貰ったものの、いつかは復帰しなければならない事や仕事休んでも家事が手につかず何にも出来てない事から焦りが強くありました。
家族と話している時に、「気の持ち様だよ」と言われました。弱っていなかったら、受け流せたのかもしれません。
そっか気の持ち様か。私は気にしすぎで甘えて仮病で休んでる怠け者なんだな。と卑屈になり全ての薬を飲むのを辞めました。
それからたった2日後の事です。何やら物騒な事を考えるようになりました。ふとした瞬間、死にたい衝動に駆られるのです。
猛烈に死にたい。いや子供いるし死んだらいかん。…今だったら家に1人だしチャンスかな!?!?いやいや、明日の準備しなきゃ。
みたいに気づいたら死ぬことを考えていたり、我に返ったりを繰り返しながら過ごしていました。
覚えていないのですがこの時支離滅裂な事をLINEで知人に送ったり、ツイートしたりしていました。自殺未遂を実行する前からおかしかったのです。
そして死への衝動が始まった次の日、ついに実行へと踏み切ってしまうのです。
キッチンを片付けていてふと、精神薬の事を思い出しました。そこへ衝動的な希死念慮。
以前から何故か死ぬ時はODして首を括ると決めていました。
家族は在宅しているが寝ている。私の中で今がチャンス!!!確率変動中!!急げ今のうちに!!!と兎に角、犯罪を犯すかのようにドキドキしながら見つからないように静かに持っていた薬を全部飲み(30錠程度ですが)、クローゼットからネクタイを出してケータイでハングズマンノットの結び方をググり、ドアノブと自分の首を結び、後は体重をかけるだけ!
もう少し薬が効いてきたら体重をかけていこう。出来るだけわけのわからない状態で死にたかったので。
そして少し酩酊してきたので、お、きたきたと思って縄に体重をかけ始めました。なんとこれが苦しいというより頭部が破裂しそうな苦しさ。きつく締めるより適度に長時間締める方が楽かな?一思いにガッ!!といった方がいいかな?もっと下調べしとけばよかったー……など徐々に加重しながら首を締めていると、なんと寝ていたはずの家族がドアを開けようと!!
やばいーという事ももはや朧気で、ドアの重さに「あれ?」とか言いながらぐーっと押してドアが開かれた。家族は私を発見するなり驚くほどの俊敏さでネクタイを外された。
意識朦朧としながらも私の頭の中は「失敗した!!」でいっぱい。
失敗したぁ〜と泣きながらその場に突っ伏してからの記憶が飛んでる。
少しだけ覚えてるのは救急隊員に「何飲んだかわかります?酒は?」と聞かれた事に対してはポツポツと正しい事を答えられた。
そしてどこに搬送されるか2つの病院の名前が出た時に片方は仕事上よく関わっている病院だったのでそこだけは嫌です!!!と答えた。恐らく夕方くらい。
次に気がついたのは夜だった。その時は復活した感じがあったが今はよく思い出せない。
気がついたらオムツを着けられていた事が印象的。うつらうつらしてそのまますぐ寝た。
自殺未遂の翌朝、近くの精神科へ移動する事になっていた。(運ばれた先は救急病院だった為)
この時歩行が出来ず車椅子で自家用車の助手席に自分で乗ったらしいが全く覚えていない。
そして閉鎖病棟の観察室に入院することになった。携帯を手にしたけど視界がダブって見えてきちんと文字入力ができない。今見返すとまたわけのわからない文章をLINEしたりツイートしたりしていた。
特に何も出来ない中で人目を盗んでは充電器やタオル、パーカーの紐などで首を絞めたが本気で絞めても手の力では到底無理そうだと気づいた。
サスペンスなどで後ろから縄で絞殺したりする場面があるけど、アレ無理じゃね?と思いました。息絶える前に多分反撃されると思う!!
という事を悪びれもなく家族に話したり、失敗してしまった、次は失敗しないようにしよう。
という事しか考えてなかった。
車椅子では喫煙所に行けないと言われたため、頑張って歩いた。実際は産まれたての小鹿歩行でしたが煙草に行く時は精一杯スタスタ歩けるように見せる為頑張った。
そして入院から4日目くらいに薬も抜けてきた頃から再度投薬治療が始まった。
するとみるみる希死念慮は消えた。死にたいというより消えたいという感覚に戻った。
この状態であれば実行に移すことはない。退院や仕事の事を考えると心がザワザワするので1日中何も考えずゲームをしまくった。
以降ずっと無心でゲームをするだけで思考停止しており希死念慮もなくなっていたので入院から1週間後、閉鎖病棟から開放病棟へ行くことになった。